2020/06/18
フォルクスワーゲンを救ったイヴァン・ハースト少佐のお話し。
フォルクスワーゲンは1937年設立ですが、もとをただすとフォルクスワーゲン準備会社としてその後1938年9月にフォルクスワーゲン製造会社に名称変更をしました。(フォルクワーゲン製造会社は第二次世界大戦前にナチス政権の国有企業として設立されました。)ヒトラーはポルシェ博士が提案した国民車構想の車として設計したType1試作車を「フォルクスワーゲン(国民車)」と称していましたが、最終的に1938年に、「KdF-Wagen(歓喜力行団の車、KdF車)ナチス政権下の国民車」と命名しました。しかし、ドイツ軍の第二次世界大戦敗戦にともない壊滅的なダメージを受け国民車の生産もままならないフォルクスワーゲンの工場はイギリス軍管理下に置かれる事となりました。
その時にフォルクスワーゲンの工場管理者として、イギリス陸軍のイヴァン・ハースト少佐(Ivan Hirst、1916年-2000年)が就任しました。ハースト少佐はKdF車の将来性と、ドイツ人労働者の高い資質を見抜き、リーダーシップを取って、戦禍によって廃墟同然となった工場を復興へと導きました。その結果、1945年中にはフォルクスワーゲン社が改組され、KdF車も「フォルクスワーゲン・タイプ1」に車名を変更して生産を再開することが出来ました。ハースト少佐は品質管理や販売網・サービス網整備にまで注力し、フォルクスワーゲンの礎を築ました。
そのドキュメンタリー動画がこちらです。(生前のご本人のインタビューもあります。字幕はありませんが、、、戦後間もないドイツ、ドイツ国民の様子やフォルクスワーゲンの工場でのType1の生産過程を窺い知ることが出来ます。限定公開なのでお早めに)
https://www.youtube.com/embed/VysqC-TEeoU
お時間のある時にどうぞ。