2018/05/18
フォルクスワーゲンの生みの親。ポルシェ博士の夢・・
Guten Tag(グーテン ターク)こんにちは
いつもフォルクスワーゲン仙台南のブログをご覧いただき、ありがとうございます
店長の元木です。
今回はフォルクスワーゲンの歴史について少々記載します
皆さん、フォルクスワーゲンの生みの親をご存じでしょうか?
勿論知ってますよ!という方もいらっしゃると思いますが・・・・
ですよねっ!ご存じの方はお付き合いください
名前はフェルディナント・ポルシェ。
クルマ好きなら一度はその名前を目にしたことがあるのではないのでしょうか。
名前から察するとおり、ドイツのスポーツカーブランド「ポルシェ」の創始者であると同時に、
フォルクスワーゲン(国民車の意味)の生みの親でもあります。
生まれたのは、まだこの世に自動車が誕生していない1875年。
旧チェコスロバキア領にあたる北ボヘミア地方の小さな町に、ブリキ職人の次男として生まれました。
幼い頃から機械工学に興味を抱き、成人後は複数の会社でエンジンや自動車の設計に才能を発揮しました。
「博士の夢の一つ、大衆のための小型経済車」
1933年ドイツ政府は大々的に国民車構想を発表。
それは次の5つから成っていました
1.最高速度100Km/hで走行可能であること
2.100Km走るのに必要なガソリン消費量は7リッター以下であること
3.4~5人が乗車できること
4.冷却方式は空冷であること
5.価格は1000マルク以下であること
1934年1月、ポルシェ博士は頭の中に描いてきた"国民車"のアイデアをドイツ政府に提出。
これに政府は即決で援助を決めます。
その中で、「国民車は、ただサイズを縮小したミニチュアカーであってはならず、
安全性を第一に、操縦性能にすぐれ、修理が簡単な車でなければならない。
さらに乗り心地が良く、乗客室とトランクスペースが充分にあり、
無駄な装備が一切なく、全ての目的に合う車でなければならない」としています。
このアイデアは(添付写真1936年に完成のVW3タイプ60)VW3を経て、
1938年初頭にVW38と呼ばれた最後のプロトタイプはKdFと名づけられ完成します。
それは戦後1945年、VWタイプ11として蘇り、
正式に「フォルクスワーゲン」と初めて名前が付けられ
ビートルと呼ばれるようになります。
当時のポルシェ博士のアイデアは、"車づくり"の基本理念として現代にも立派に通用する思想ですよね
長い文書にお付き合いいだだき、ありがとうございました
次回は違う角度でフォルクスワーゲンの魅力を伝えられるよう頑張ります