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2024/08/26

富士モータースポーツミュージアム その2

こんにちは、サービステクニシャンの庄司です。

1年ほど前に紹介した『富士モータースポーツミュージアム』へ久々に行ってきました。
実は展示されている車は随時入れ替わりが発生しているため、珍しいマシンが入っていることがあります。
丁度いま見たいマシンが何台か展示されている時期でしたので、大量に写真を撮ってきました。

その中の何台かを紹介したいと思います。

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三菱スタリオン4WDラリー

世界ラリー選手権で1982年から採用されたグループBという新しい車両規定に向けて開発され、83年11月の東京モーターショーにおいて最初のプロトタイプが公開されました。
グループB規定では競技参戦用の公認(ホモロゲーション)を受けるために『連続した12か月間の間に200台製造された車両であること』が必要で、このプロトタイプは量産仕様となっており、短くなったフロントのオーバーハングに固定式ヘッドランプやFRPボンネット、前後のブリスターフェンダーを備えた専用のボディに最高出力360ps、最大トルク32.0kg/mを発生しする2091ccの直列4気筒SOHCターボエンジンを搭載、5速マニュアルトランスミッションにビスカスカップリング式センターデフ方式の4WDを組み合わせていました。
また、量産仕様ながら大型リヤスポイラーには競技仕様と同じようにオイルクーラーが内蔵されていました。

展示車両は当時5台製作された車両のうちの1台で、86年の香港・北京ラリーに参戦したマシンです。
実戦仕様のこのマシンには、輸出仕様のランサーEX2000ターボに搭載されていたG63B型直列4気筒SOHC8バルブターボエンジンをベースに2140ccまで排気量を拡大したものが搭載されていました。
残念ながら計画の中止に伴い、プロトタイプのみで終わってしまったマシンですが、実際に市販されていたらどのような活躍を見せてくれたのか、今でも魅力的な1台です。

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ランチア・デルタS4
グループBカテゴリーで競われた世界ラリー選手権において、トップコンテンダーの中では最後発に登場したのが、このデルタS4です。
外観は当時の量産車であるデルタに似せられていますが、中身はクロームモリブデン鋼製のパイプフレームシャシーにFRP製ボディカウルを被せた全くの別物。
車名のS4はイタリア語のSovralimentata(スーパーチャージド)と四輪駆動から採られています。
ホモロゲーションモデルは市販車らしく豪華な内装を持つ仕様で、エンジンは1759ccの直列4気筒DOHC16バルブエンジンにターボとスーパーチャージャーを組み合わせたもので、最高出力250ps、最大トルク29.7kg/mを発生、リヤミドシップにマウントされ5速マニュアルトランスミッションを介して4輪を駆動します。
公認を受けた200台のうち、20台は競技用のエボリューションモデルとして改造され、市販仕様と異なるデザインのボディカウルを採用。
1759ccという排気量は、当時の規定によるターボ係数1.4を掛けた排気量を2500cc以下に抑えるためのもので、これにより最低重量890kgという超軽量なマシンに仕上げることが可能でした。

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写真中央のパイプを挟んで、右側がスーパーチャージャー、左側にターボチャージャー。
それぞれに大型のインタークーラが装着されており、リヤカウル左右の大きなインテークダクトが空気の取り入れ口になっています。
エボリューションモデルは85年末にデビューし、当初470psほどと言われていた最高出力は86年の終盤には600psを超えるほどにチューニングされていました。

しかし当時グループBマシンによる重大事故が多発しており、このデルタS4も例外ではなく、危険性が問題視されたグループBは86年限りで規定そのものが廃止となり、ランチアのワークスマシンとしては唯一タイトルを獲得することが出来なかった悲運のマシンとなってしまいました。

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ミノルタ・トヨタ90C―V
1990年から91年にかけて全日本スポーツプロトタイプカー選手権(JSPC)やスポーツカー世界選手権(SWC)に参戦したグループCカーです。
前年型から排気量が拡大され3600ccとなったV型8気筒ツインターボのR36V型エンジンを採用、新設計となったシャシーを採用していましたが、特に足周りの仕様に難があり、かなり神経質な操縦性を持っていたためデビュー戦となった90年のJSPC開幕戦富士500kmでポールトゥウインを飾った以外は目立った成績を残せていません。
しかし90年のルマン24時間レースでは6位に入賞しており、これはトヨタチームにとってルマンでの初入賞でもありました。

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隣に展示されていたのは当時このマシンをドライブしていた故・小河等選手のレーシングスーツとヘルメットです。
89年の全日本F3000選手権のシリーズチャンピオンであり、当時を代表する日本人ドライバーの一人でもありました。
92年のスポーツカー世界選手権開幕戦で優勝し、その後も期待されている中で、本来参戦する予定ではなかった全日本F3000選手権の第4戦鈴鹿へスポット参戦、決勝レース中に発生したクラッシュにより亡くなられました。
夕方のニュースで知った時の衝撃は、今でも忘れられません。

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カルソニックスカイライン 1990(BNR32)
グループAツーリングカーレースで勝つために設計され、90年の全日本ツーリングカー選手権開幕戦でデビューしたBNR32型ニッサン・スカイラインGT―Rは、国内外で活躍した伝説のマシンです。
搭載されるエンジンのRB26DETT型直列6気筒DOHCツインターボエンジンが持つ2568ccという中途半端な排気量は、当時のターボ係数1.7を掛けた値が4500cc以下となるように設定されたもので、これは最低重量や装着できるタイヤの最大幅などを考慮して決定されました。
このマシンの特徴は何といっても、それまでのツーリングカーレースでは考えられなかった四輪駆動システム『アテーサE―TS』を採用したこと。
通常時は後輪駆動として機能し、後輪のスリップ率の応じて前後駆動トルク配分が0対100から50対50の間でリニアに変化するため、晴天/雨天のコンディションを問わず速さを見せました。

展示車両は90年の全日本ツーリングカー選手権開幕戦で優勝したマシンそのもので、マシン自体は94年から全日本GT選手権へプライベートチームから参戦した経緯もあり、カラーリングこそ90年仕様に復元されていますが、リヤバンパー下側がカットされているなどGT選手権仕様のままとなっている部分もあります。

ということで今回は4台のマシンをご紹介しました。
富士モータースポーツミュージアムでは常時多数のレーシングカーが展示されています。
開館の状況や展示車両の変更等は公式Xや公式ホームページでアナウンスされますので、そちらをご確認ください。

庄司 純也 サービステクニシャン

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