2019/07/04
もうすぐ七夕!
皆様、こんにちは。
フォルクスワーゲン長野 受付の山田です。
いつもフォルクスワーゲン長野のブログをご覧いただきまして、
誠にありがとうございます。
7月に入り、だんだんと蒸し暑くなってまいりましたが、
皆様いかがお過ごしですか?
今週末は、七夕。
ということで、本日は七夕の由来についてご紹介します!
七夕は、
? もともと日本の神事であった「棚機(たなばた)」
? 織姫と彦星の伝説
? 奈良時代に中国から伝来した「乞巧奠(きこうでん)」
の3つの行事があわさったものといわれています。
では、この3つの行事について説明していきましょう。
? 棚機(たなばた)とは?
棚機とは、古い日本の禊ぎ行事で、乙女が着物を織って棚に供え、
神様を迎えて秋の豊作を祈ったり、人々のけがれを祓ったりするものでした。
選ばれた乙女は「棚機女(たなばたつめ)」と呼ばれ、
川などの清い水辺にある機屋にこもって神様のために心を込めて着物を織ります。
そのときに使われたのが「棚機」という織り機です。
やがて仏教が伝わると、この行事はお盆を迎える準備として
7月7日の夜に行われるようになりました。
現在、「七夕」という2文字で「たなばた」と当て字で読んでいるのも、
ここからきているといわれています。
? 織姫と彦星の伝説
琴座のベガと呼ばれる織女(しょくじょ)星は裁縫の仕事、
鷲座のアルタイルと呼ばれる牽牛(けんぎゅう)星は農業の仕事を
つかさどる星と考えられていました。
この2つの星は、旧暦7月7日に天の川を挟んでもっとも光り輝いているように見えることから、
中国ではこの日を1年1度の巡りあいの日と考えられ、七夕ストーリーが生まれました。
? 乞巧奠(きこうでん)とは?
乞巧奠は、中国の行事で7月7日に織女星にあやかって、
はた織りや裁縫が上達するようにとお祈りをする風習から生まれました。
庭先の祭壇に針などを供えて、星に祈りを捧げます。
やがて、はた織りだけでなく芸事や書道などの上達も願うようになりました。
平安時代にこれらの話が日本に伝わると、
宮中行事として七夕行事が行われるようになりました。
江戸時代になり七夕行事が五節句の1つとなると、
七夕は庶民の間にも広まり、全国的に行われるようになりました。
人々は野菜や果物を供えて、詩歌や習い事の上達を願いました。
そして、梶の葉のかわりに、5つの色の短冊にいろいろな願い事を書いて笹竹につるし、
星に祈るお祭りへと変わっていきました。
7月7日の七夕の夜、織姫と彦星は待ちに待った「再会」という願いを叶えます。
「2人のように、願い事が叶いますように。」と、
短冊にいろいろな願い事を書いてみてはいかがですか?
皆様にとって、素敵な1日となりますように。